大判例

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東京地方裁判所 昭和30年(ワ)49号 判決

原告 平塚孫一郎

被告 不二コロンバン株式会社

主文

被告は原告に対して金四百二十万九千五十円を支払え

原告その余の請求を棄却する

訴訟費用は被告の負担とする

この判決は原告において金七十万円の担保を供するときは勝訴の部分に限り仮に執行することができる

事実

原告訴訟代理人は「被告は原告に対し金四百三十六万九千五十円を支払え訴訟費用は被告の負担とする」との判決並びに仮執行の宣言を求め請求原因として原告は昭和二十三年九月二十日東京都中央区銀座六丁目二番地十四所在木造亜鉛葺二階建店舗一棟建坪十九坪六合八勺二階二十一坪九合三勺(以下本件建物という)を前所有者訴外余興康より買受けその所有権を取得し同時に前主と被告との間の本件建物賃貸借関係を承継したが昭和二十五年七月十一日以降地代家賃統制令改正に伴い本件建物に対する家賃統制は存在しなくなつたにかゝわらず賃料はなお家賃が統制せられていた当時の月額金八千円のまゝ据置かれている。しかしながら統制時に比し租税の増徴インフレ昂進に伴う家屋並びに土地価格の昂騰は著しく月額八千円の賃料は甚だしく低額であるから原告は昭和二十八年四月一日被告に対し書面を以て比隣の家賃に相応する賃料月額金二十万八千五十円(建坪十坪当金五千円)に本書面到達の日以降増額することを請求し同書面は翌二日到達した。そしてその後しばしばこの請求をしたが被告は右増額賃料が不当であると争い支払を肯じないのでここに昭和二十九年四月一日以降昭和三十年十二月末日迄の右割合による賃料合計金四百三十六万九千五十円の支払を求めるため本訴に及んだと、述べ被告抗弁に対して原告が被告主張の訴を提起しその敗訴の判決が確定したことは認めるが被告と訴外不二食品株式会社が本件建物の共同賃借人である旨の被告の主張事実を否認し被告会社は昭和二十一年一月十日設立とともに訴外不二食品株式会社から本件建物の賃借権を譲受け当時の家主神谷喜兵衛の承認を得て被告のみが賃借人となつた。仮に然らずとするも昭和二十九年四月二十七日被告会社及び訴外不二食品株式会社の各代表者を兼ねる小倉誠と原告との間に不二食品株式会社と原告との間に本件建物賃貸借は合意解約せられ被告のみに賃借権のあることが確認された、と答え被告訴訟代理人は本案前の抗弁として訴却下の判決を求め本件家屋は訴外不二食品株式会社が昭和二十年十一月十八日当時の家主神谷喜兵衛から賃借し同二十一年一月十日被告会社がその設立と同時にこの賃貸借関係が加わり右不二食品株式会社と共同賃借人となつたものである。原告はさきに被告に対し本件家屋の賃借権を争い不法占有して明渡の訴を提起したところ一、二審とも原告敗訴し最高裁において上告棄却の判決が確定したがそれは原告と被告及び訴外不二食品株式会社との間に賃貸借契約が存在することを認定されたのである。それ故本件建物に対する賃貸借の存否当事者のことは確定判決によつて確定された事実であるから原告は今更紛争のあつた当時に遡つて確定判決による事実と異る主張はなし得ない。従つて原告の家賃値上請求は共同賃借人全員に対してしなければならない所謂必要的共同訴訟であるのに共同賃借人の一人たる被告会社のみを相手とした本件家屋の賃料増額請求は不適法であり訴却下を免がれないと述べ、本案に関して「原告の請求を棄却する」との判決を求め答弁として原告主張事実中被告が原告から本件家屋を賃借していること(但し訴外不二食品株式会社と共同しての賃借であることを附加するが)昭和二十五年七月十日家賃統制が解除になつた当時の本件家屋の家賃は月額金八千円であることを認めるが原告主張の賃料額を否認する。

原告が本件家屋に投資した金額は高々五百万円を出ないのであるから、せいぜい一箇月金五万円の賃料(一箇年六十萬円、投資金に対する年一割以上の利潤)を以て相当とする。なお本件は前記のように共同賃貸借の場合があるから、本賃料は相賃借人訴外会社と分割して請求すべきであると述べた。

〈証拠省略〉

理由

被告会社は先づ本件の賃借人は被告と訴外不二食品株式会社共同であると主張するのでこの点を考える。成立に争のない甲第十九号証同第二十二ないし第二十四号証乙第四第五号第七第八号証および当裁判所が真正に成立したと認める乙第一号証及び被告会社代表者小倉誠、尋問の結果を綜合して考えるに本件建物がもと訴外神谷喜兵衛の所有に属し同人死亡後その相続人神谷誠一次いで余興康とさらに昭和二十三年九月に原告が順次その所有権を取得した。他面本件建物は右喜兵衛がこれを訴外高村増太郎の主宰せる大増合資会社に賃貸したが終戦後間もなく右高村増太郎が小倉誠と共に菓子販売及び喫茶店を営む会社を作り本件建物で営業をしたいと考え昭和二十年十月頃前記神谷喜兵衛を訪ね右計画を打明け本件建物をやがてできる新会社の営業所として貸して貰いたいと頼み右設立手続が相当永びくのでとりあえず小倉誠が社長をしている不二食品株式会社において前記大増合資会社から右本件建物の賃借権を譲受けておいてやがて会社ができたらその会社を賃借人にしたいという希望をもらし訴外高村を個人的に信頼していた神谷はことごとくこれを承諾した。

そこで昭和二十年十一月十八日不二食品株式会社は大増合資会社から右賃借権造作等を代金二十万円で買受け即日不二コロンバン株式会社が創立発起人総代小倉誠との間に右買受けた賃借権造作等を不二コロンバン株式会社の設立と同時に同株式会社に買受代価と同額の金二十万円で譲渡する旨約定したことが認められる。而して被告会社は昭和二十一年一月十日その設立登記を了つたこと成立に争のない甲第二十一号証により明白であるので特段の事情のない限り本件賃借権は前記訴外会社より被告会社に譲渡され家主においてもこれに異議のなかつたことは前掲認定により首肯し得るであろうしなお前記証拠によれば不二食品株式会社は当時の家主神谷喜兵衛との間に被告不二コロンバン株式会社が設立される迄の間のつなぎとして一時賃貸借契約を結んだものでこのことは家主神谷は従前の本件建物の賃借人大増合資会社の社長高村増太郎が新に設立される不二コロンバン株式会社の大株主となりその専務取締役となるというからこそいわば賃借人との人的結合が連続しているので快く不二コロンバン株式会社が賃借人となることを承諾したのであつて高村増太郎の加入する不二コロンバン株式会社でない不二食品株式会社やその社長小倉誠との間にはそれまでの関係もなかつたのであることからも窺える。なおこのことは被告会社代表者小倉誠本人尋問の結果や成立に争のない甲第二十号証から不二食品株式会社は昭和二十五年十一月より大極光明株式会社と商号を変更し本件建物を現実には全く使用していないこと。成立に争なき甲第二十二号証から右不二食品株式会社は昭和二十一年一月以降事実上何の営業活動もしていないこと、成立に争なき甲第十六号証の一ないし三から本件建物の前所有者余興康に対して被告名のみで賃料供託していること、成立に争なき甲第十七号証の一ないし九、同第十八号証の一ないし三、ら原告に対しても同様に当初から被告名のみで賃料を供託していること、成立や原本の存在に争のなき甲第四号証や原告本人尋問の結果により昭和二十九年四月二十七日本件賃料延滞分支払の領収書が被告会社単独名義で作成され被告方で異議なくこれを受領していること、また成立に争ない甲第十号証の二によれば被告会社自ら単独で原告に対し本件家賃の適正額の決定の調停の申立をしたことなどの事実がそれぞれ認められこれからも被告が単独の賃借人であるとする前示認定を強めることができる。たとえ被告会社の設立後も不二食品株式会社事務所に家主神谷が時々家賃を受取に来たり又小倉誠から不二食品株式会社の小切手で家賃を受取つたことがあるとしても、それは小倉誠が不二食品株式会社と被告会社との社長を兼ねている関係上(このことは当事者間に争がない)行われたにすぎないものであることは容易に推測され得るのであるから、この事実を以てたやすく不二食品株式会社もまた本件の賃借人であるとの事実を断定する資料とはなし難い。もつとも成立に争のない乙第四ないし第六号証によればかつて原告は被告会社に対し不法占有を理由とし本件建物の明渡を請求し敗訴の判決が確定しその判決の理由に右賃貸借において被告並訴外会社が共同賃借人である旨を判示したところがあることは認められるのであるが、それは被告の占有が権原のある正当のものであることを認定する理由を示したものに外ならずもとよりこの訴訟を以て本件賃貸借の当事者を確定せしめるものでないことはこれら判決の主文を見ても容易に了解し得るのであつてこの点について既判力を有する訳がなく従つてこれら判決の存在によつても右の判決をなす妨げにはならない。よつて訴外不二食品株式会社と被告会社とが共同賃借人であることを前提として訴却下の判決を求める被告申立はその前提を欠くこととなるので本訴が必要的共同訴訟なりや否や判断するまでもなく被告の申立は理由がないので排斥する。

次に本案につき考える。被告会社は本件建物を原告から賃借しており昭和二十五年七月十日家賃統制解除時の賃料は月額八千円であつたことは当事者間に争がない。この時と原告が増額の請求をする昭和二十九年四月までにその間三年十月とゆう相当の期間が経過しその間インフレに伴う経済事情の変動は激甚を極め物価の暴騰土地価格地代家賃の著騰公租公課の増徴は顕著な事実であり被告においても一箇月金五万円までの値上は容易しているところである。よつて本件建物の相当賃料額を考察する。成立に争なき甲第十一号証第十二号証の各一ないし五により認められる本件建物とその敷地の各固定資産税やその評価額の変化増減の度合、当裁判所の真正に成立したものと認める甲第十三号証、第十五号証鑑定証人浅野陽司の証言と同証人の証言により成立を認むべき甲第十四号証に鑑定人横山忠弘鑑定の結果を綜合すれば昭和二十九年四月当時における本件相当賃料は原告主張の一箇月二十万八千五十円を下らざるものであることが認められる。もつとも鑑定人横山忠弘の鑑定の結果によると昭和二十一年一月本件物件を賃貸借したとき権利金二十万円の授受があつたときは昭和二十九年四月当時の相当家賃は金十一万七千三百六十円となるとのことであるが、被告会社が昭和二十一年一月賃借の際金二十万円を支払つてはいるがそれは前賃借人に対して賃借権造作等譲受の対価として支払つたもので家主に対して低く押さえられた統制家賃の不足を補う為に支払はれたものでないから右の鑑定の「権利金ある場合」に当るものではないこと前認定事実から容易に肯定し得る。また前記甲第十五号証により認められる本件建物とその位置構造の類似している中央区銀座電車通り所在店舗の賃料額の実例に比べてみても原告主張の賃料月額金二十万八千五十円(建坪一坪当五千円)は不相当とは認められない。もつとも乙第三〇号証によれば銀座六丁目電車通りの店舗で賃料の前認定よりはるかに低額と認められるものがあるように見えるのが賃料はいわゆる権利金の授受の有無やその額如何に至大の関係ありまた特殊の主観的事情にも影響を受けることは少ないので附近に低額の賃料の存在の例があるからといつて直ちに賃料の客観的評価に影響を及ぼすものとは即断し難い。同号証の成立やその趣旨について少しの資料のない本件においては、これを以て前認定を覆すに足る証拠とはなし難く他に右賃料額を以て相当ならずとする反証はない。

而して原告が昭和二十八年四月一日被告に対し右賃料値上の意思表示をなしそれが翌二日被告方に到達したことは成立に争のない甲第一号証の一、二により明白であるのでそれ以後である昭和二十九年四月一日以降昭和三十年十二月三十一日までの月額金二十万八千五十円の賃料の支払を求めることは正当であるが成立に争のない甲第十八号証の二、三によれば被告は昭和二十八年四月分より昭和三十年十一月分まで二十箇月分一箇月金八千円の割合による賃料を供託していること明かであるのでこの金額合計金十六万円は本訴請求金額より控除するを相当と認める。(一般賃料の供託の場合であると債務の一部の提供は原則として債権者において受領の義務もないのでその供託は不適法と称し得るも本件のような賃料増額請求の場合には債務者において客観的相当価格を認識することは甚だ困難であるので特段の事情のない限り債務者がなした従前通りの賃料額による供託は相当賃料の一部弁済としての効力を認めるのが信義則上正当と考えられる。)

よつて本訴請求中前記期間の未払賃料合計金四百二十万九千五十円の支払を求める部分は正当として認容しその余は失当として棄却すべく訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条第九十二条仮執行の宣言につき同法第百九十六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 柳川真佐夫)

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